犬ぞり案内人 山崎哲秀 ー北極圏をテツがゆくー

グリーンランド北西部地方に古来から住む、エスキモー民族から伝承を受けた犬ぞりを操り、“アバンナット北極プロジェクト”に取り組む、山崎 哲秀のブログです。 このブログでは、北極遠征中や日本滞在中の活動の様子を紹介します。 アバンナットプロジェクトの詳細は、山崎哲秀のホームページhttp://www.eonet.ne.jp/~avangnaq/ をご覧下さい。山崎哲秀の連絡先は、同ホームページに記載しています。

2009年05月

20090517

517日(日)

 513日に無事帰国した。その後、誰に連絡することなく、今日まで少しのんびりしてしまったが、次に向けてまた気持ちが動き始めている。

犬達のサポーター応援してくださっている方たちへの報告です。まずは全14頭が犬橇旅行中を通して、無事であったこと。そして今回ドックチームはこのあとも、再びレゾリュートで過ごすことになりました。

レゾリュート帰還後、驚いたことにSaekoさんという日本人の女性が、レゾリュートに在住していました。カナダ人の旦那さん、Silas(サイレス)さんの仕事の関係で、レゾリュートに住むことになったそうです。犬達はご夫妻の元で預かって頂くことになりました。なんとしてもこの日本帰国中に、来シーズン活動できる予算のメドをつけて、レゾリュートへ戻りたいと思っています。

写真:レゾリュートでのSilas & Saeko夫妻。

57日(木)

応援してくださっている皆様へ

拝啓

 4月期の犬橇旅行が無事終了しました。ツインオッター機でのピックアップは、行き先をケンブリッジベイでは無く、レゾリュートにしました。犬達が過ごすには、レゾリュートに戻るほうが生活条件がいいからです。

ケンブリッジベイまで犬橇で辿り着くことが、分かりやすい結果だったのかもしれません。でもピックアップを選んだことが失敗だとは、どうか思わないで欲しいです。「北極=犬橇=冒険」というイメージがどうしても付きまといますが、僕個人の力量(冒険として考えるなら)はさることながら、このアバンナット計画にゴール地点は無く、記録を作っていくことが目的ではないです。この4月期の犬橇旅行もアバンナット長期計画の一つの過程、通過点です。まだ続きがあります。そこから継続することが出来ます。先は長いですから。

まずは手抜き無く、精一杯。今シーズンもいい遠征だったと胸を張って言えます。北極通信第22号でも旅行の様子を報告させて頂きます。

明後日59日にレゾリュートを離れ、ケンブリッジベイで挨拶にまわったあと、帰途につきます。本当にありがとうございました。

少し体と頭の中を休めて・・・、また動き始めます。

        

                     敬具

                    

                    200957

                     レゾリュートにて

                     山崎 哲秀

20090507_4 写真:「シン、コウ、お前ら随分とでかくなったな!抱きかかえてやれるのは、これが最後だよ。」

20090505 52

 停滞8日目となるとさすがに神経がピリピリしていた。随分と以前に、グリーンランド内陸で、一週間ほどブリザードで閉じ込められたことがあったが、その経験を上回る停滞だ。その時も寝袋にもぐり込んで、風が止むまでひたすら待ち続けたが、寒かったのを覚えている。

深夜、ようやく風が穏やかになり、外は雪がちらつく天気となった。朝4時頃目が覚めてテントの外を覗くと、引き続き雪。視程がなければ飛行機は飛ばないので今日もダメかと思っていると、6時頃から急に空の雲が切れ始めた。AM8時の気象情報を日本の事務局を通じてレゾリュートへ伝えてもらう。自分の英語力では正確に伝わるか怪しく、確実に伝わる方法をとった。天気がこのまま良ければ、他の予定フライトとの兼ね合いから、夕方4時頃のピックアップになるとのことで、1時間毎の気象情報を連絡せよと指示があり、気象観測をして伝え続ける。PM12時からは30分毎の気象を伝えよとの指示。天気予報ではこのあとまた崩れる予報だったので、気が気ではなかったが持ちこたえてくれた。ツインオッター機はPM35分にレゾリュートを飛び立ち、517分にこちらに到着するとのことで首を長くして待ち続けた。

北東の方角からエンジンの音が聞こえ、ほぼ定刻に着陸したツインオッター機を見届けると、一人で形を作っていこうとしていたことへの、肩の荷が下りたような気がした。

写真:ピックアップに来たツインオッター。

429日~51

 スノーモービルでの補給班は、その後悪天候も加わり430日にようやくケンブリッジベイへ帰り着いたとのことだ。乱氷帯での燃料消費が激しく、帰着まで燃料が持たず、ケンブリッジベイから救援を頼んだとのことをあとで知った。結果的には引き返してもらったのは間違っていなかったと確信している。無事戻ってくれてよかった、と安堵もしていられず、この後自分とドックチームが危うい立場となっていくことになる。

28日に引き返してもらった直後から、日本の事務局へ「今回の犬橇旅行はここを最終地点とする。」ことを告げ、ただちにツインオッター機でのピックアップ依頼をレゾリュートのケンボーレック・エアー社と調整に入ってもらった。遠征隊のサポートを仕事としているAziz氏が中間に入ってくれ、ピックアップ体制を敷いてくれている。29日、もし天候が良ければピックアップされる予定だったが、28日から崩れた天候は回復せず、ピックアップならず。翌30日も引き続き視程ゼロのブリザードが続く。

手持ちのドックフードが残り2日になるのに合わせて、当初26日に受けるはずの補給だったので、犬達のエサは実質27日までで無くなっており、頭を抱えるところだ。彼らは生活風習から、気温が高くなったこの季節は動かなければ45日は充分に生き延びるはずだが、「全頭を無事に生還させる。」ことを公約に犬橇旅行をしているだけに心配だ。

51日、今日も風速は10m/sを大きく上回り、ブリザードはおさまらず。 

42歳の今、この停滞待機期間中は色々と考えることがある。アマゾン河をイカダで下ったり、グリーンランドの氷河でクレバスに足を踏み落としたり、犬を落としてしまったり、クレバス帯の氷河を1人でルート工作し、犬橇で遠征用の物資を荷揚げしたり、などと、危険をあまり考えずに行動していた2030歳代半ば頃までとは違い、臆病さが増したと思う。安全のラインをかなり手前に引くようになった。でもそれは、今後の極地活動にとって必要なことだと思う。特別に冒険的な記録を打ち立ててきたわけではないが、自分の好きな北極で1人でもずっと納得しながら活動を続けてきたわけだけど、本当に今回で一人でする北極活動は最後にしたい。今後はもう少し形を変えた、個人ではないアバンナット計画の目標である北極遠征、またチーム、組織を作って行くことに尽力したい。まだまだ終わりではないのだ。

同地点での待機、停滞は今日で7日目になる。予定外の長い停滞に手持ちの食糧もとぼしくなってきている。犬達は体力の消耗を防ぐかのように、ひたすら丸まって眠り続けている。

写真:旅行中のスナップ。日焼けと凍傷で顔は真っ黒。

Photo

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422日~28

 422日は、4月期の犬橇旅行中で一番平らな海氷だったかもしれない。それでも犬達の歩調はノロノロ。シルバーもウキダガヤ同様にもう一つ調子が上がっていない。ルッキの怪我といい頭の痛いところだ。シンとコウがチームに加わってくれればと思うが、まだ実践には耐えられないだろう。

 423日、進路をビクトリア島南に向けて(テイラー島南端あたりを目指して)、南西への進路をとろうとするのだが、乱氷帯に阻まれ南へ南へと方向を流されてしまう。アドミラルティー島の南側は、ビクトリア海峡でも乱氷が少ないだろう、と予想しての東沖合を回り込んでのナビゲーションであったが、この様子ではどうやら、ビクトリア海峡全体が乱氷で埋まっていると予測できた。2回目の補給を前に、何とかテイラー島南側あたりまで進んでおきたいと思い、2425日は意を決して乱氷帯を西~南西へと何度か突入を試みたが、乗り入れる最初こそ乱氷と乱氷の間に隙間があり蛇行しながら進めるのだが、奥へ奥へと進入するに従い、その間隔が密となっていき、背丈以上もある乱氷も多くなり、行き詰まり、引き返すを繰り返した。

26日に2回目の物資補給(ドックフードのみ)を受けることになっていたので、補給を前に25日は一旦、海氷の平らな氷盤へと戻りキャンプ。待機することにした。ケンブリッジベイからはヨルガンとデビットの二人が、スノーモービルでドックフードを補給してくれることになっており、この乱氷帯を一人で越えるのは難しいと判断し、彼らに補給後もそのまま、ケンブリッジベイまでのルートガイドを合わせて依頼した。

200905034 予定の26日より一日遅れて27日朝9時半頃、ケンブリッジベイを出発したという2人は、スノーモービルで普通に走行したら67時間ほどで来れる約250kmの距離を、夕方になっても到着せず。どうやら乱氷帯で苦戦を強いられているらしく、僕のキャンプ地の約25km手前でキャンプを張った、とのことを定時交信で知った。翌28日は出発後、1台のソリが破損し、デビットはその地点で待機、ヨルガンが1人で補給に向かうという情報を交信で知る。たった25kmとはいえ、乱氷帯をスノーモービル1台で1人で来るというのは、あまりにもリスクがありすぎる。越えるのに数日かかることもあるのだ。スノーモービルが故障でもしたら立往生だ。天候も崩れ始めていた。無理せず、すぐにケンブリッジベイへ2人で引き返してもらうようにお願いした。補給はスムーズにいって補給でないとダメだと思う。氷の世界が生活の一部である彼ら(イヌイット)が苦戦するということは、相当タフな乱氷に違いない。それでも1人で補給に向かおうとしてくれたヨルガンにとっては、仕事を引き受けた以上、極地で生活する彼らの「誇り」があっての気持ちだったのだと思う。2人には感謝しつつ、引き返してもらったその瞬間、昨年11月から準備でレゾリュート入りし、3月期の犬橇旅行から4月期の犬橇旅行へと、ずっと保ち続けてきた緊張の糸がプツリと途切れてしまった。そういう中では今回はこれ以上はやるべきではない。レゾリュートからの道中、2つの大きな乱氷帯があり、何とかクリアできたのだが、3つ目の「この乱氷帯を1人で越えることが出来なかった。」個人での犬橇旅行はこれが最後、と挑んだ今シーズンの計画であったが、自分1人で出来るフィールドワーク、力量はここまでのようだ。それは率直に受け止めなければならない。「民間のスポンサーで(小さくてもいいから)北極観測隊を組織したい。」という夢のためにも、何とかケンブリッジベイまで辿り着いてアピールしたかったが、その夢の実現にはもう少し時間がかかるかもしれない。

 ビクトリア島内陸からアルベルト・エドワード湾へ抜け再補給を受ける、という案もあったが、それは次の課題として残しておく。今回はここが最終地点だ。全く恥ずかしくはない数字だ。

写真:(上)犬橇がゆく・白熊が現れる。(下)平らな氷盤で補給を待つ・最終地点地図。

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