影響を受けた方たち(その5)とりあえず最終回。今日は「池田錦重」さん。
30、40歳・・、当然ながら誰でも年齢と共に体力は落ちていくものだ。
30歳代も後半にさしかかった頃、「あれっ?あれっ?・・」と体力に変調を感じる時が来た。それを認めることが出来ないまま、第46次南極地域観測越冬隊の話が僕の元へ舞い込んできた。悩んだのは「時間」だった。南極観測隊で拘束される2年間の時間を、北極で使ったほうがいいのではないだろうか?体力の変調期にそんなことが頭を駆け巡っていた。40歳というのはまだ未知の世界だった。そんな時、相談に乗って頂いたのが「池田錦重」さんだった。
日大山岳部出身の池田さんは、日本の山岳・北極といった冒険シーンではそれぞ名の知れた方で、それこそ知らなければもぐりと言っていいと思う。1978年に日本で初めて北極点に到達したのが、池田錦重隊長率いる日大隊だった。凄いと思うのは、緻密に準備を進め、狙った計画を確実に実現に漕ぎ着けること、冒険が入っていても事故を起こさないこと、またその統率力がずば抜けていることだ。池田さんとの出会いも古く、僕が北極に通い続けている25、26歳の頃で、時々新宿にある池田さんの建築事務所を訪れ(最近移転されたとか)話を聞くのは、今でも楽しみの一つだ。
年齢的なことも合わせて、南極観測隊への参加のことで、相談を持ちかけた。そして「行ったほうがいい。山崎君、冒険という時代は捕え方も一昔前とは違ってきていて、今は年齢は関係ないよ。」と、背中を押し出してくれたのが池田さんだった。
結果的に南極観測隊への参加は、僕のその後の北極活動の方向性をはっきりとさせるものとなり、また体力は歳とともに落ちていくことを認めること、受け入れることができるものとなった。受け入れなければ今後の自分の北極は続いていかないことを知った。池田さん自ら、いまだに大きな計画を立てて継続しているならではの、後押しだったと感じている。おそらく今後も15年20年と僕は北極を続けていけるだろう。
人生の曲がり角で、それを左右する出会いがこれまでの中には常にありました。これはあとになって分かってくることですが、ここまでで自分にとって、「特に影響を受けた方たち」のことを5回に分けて書いてみました。これからもまだまだ北極活動は続きます。
写真:7、8年前?池田さんの事務所にて。左が池田さん、右は本庄さん。(写真撮影 写真家、富澤ススム氏)