山崎哲秀 ー北極圏をテツがゆくー

北極圏の犬ぞり遠征をライフワークにしている山崎 哲秀のブログです。北極圏を犬ぞりで遠征し環境調査を行うアバンナットプロジェクトに取り組んでいます。このブログでは、遠征前は日本での準備や生活の様子、遠征中は、北極圏の様子を紹介します。 アバンナットプロジェクトの詳細は、山崎哲秀のホームページhttp://www.eonet.ne.jp/~avangnaq/ をご覧下さい。山崎哲秀の連絡先は、同ホームページに記載しています。

2012年05月

影響を受けた方たち(その5)とりあえず最終回。今日は「池田錦重」さん。

3040歳・・、当然ながら誰でも年齢と共に体力は落ちていくものだ。

30歳代も後半にさしかかった頃、「あれっ?あれっ?・・」と体力に変調を感じる時が来た。それを認めることが出来ないまま、第46次南極地域観測越冬隊の話が僕の元へ舞い込んできた。悩んだのは「時間」だった。南極観測隊で拘束される2年間の時間を、北極で使ったほうがいいのではないだろうか?体力の変調期にそんなことが頭を駆け巡っていた。40歳というのはまだ未知の世界だった。そんな時、相談に乗って頂いたのが「池田錦重」さんだった。

日大山岳部出身の池田さんは、日本の山岳・北極といった冒険シーンではそれぞ名の知れた方で、それこそ知らなければもぐりと言っていいと思う。1978年に日本で初めて北極点に到達したのが、池田錦重隊長率いる日大隊だった。凄いと思うのは、緻密に準備を進め、狙った計画を確実に実現に漕ぎ着けること、冒険が入っていても事故を起こさないこと、またその統率力がずば抜けていることだ。池田さんとの出会いも古く、僕が北極に通い続けている2526歳の頃で、時々新宿にある池田さんの建築事務所を訪れ(最近移転されたとか)話を聞くのは、今でも楽しみの一つだ。

年齢的なことも合わせて、南極観測隊への参加のことで、相談を持ちかけた。そして「行ったほうがいい。山崎君、冒険という時代は捕え方も一昔前とは違ってきていて、今は年齢は関係ないよ。」と、背中を押し出してくれたのが池田さんだった。

結果的に南極観測隊への参加は、僕のその後の北極活動の方向性をはっきりとさせるものとなり、また体力は歳とともに落ちていくことを認めること、受け入れることができるものとなった。受け入れなければ今後の自分の北極は続いていかないことを知った。池田さん自ら、いまだに大きな計画を立てて継続しているならではの、後押しだったと感じている。おそらく今後も1520年と僕は北極を続けていけるだろう。

人生の曲がり角で、それを左右する出会いがこれまでの中には常にありました。これはあとになって分かってくることですが、ここまでで自分にとって、「特に影響を受けた方たち」のことを5回に分けて書いてみました。これからもまだまだ北極活動は続きます。

写真:78年前?池田さんの事務所にて。左が池田さん、右は本庄さん。(写真撮影 写真家、富澤ススム氏)

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201205291 影響を受けた方たち(その4)「憧れの人」。Roy M.Koerner(ロイ・カーナー)先生。

 冒険心から足を踏み入れた北極だったが、次第に北極での日本の観測調査隊に参加させてもらうようになり、自分の方向性が見え始めた。20歳代後半の頃から日本の観測調査に参加させてもらうようになったのだが、当時は体力が有り余り過ぎて?いたせいか(笑)、動きすぎて一緒に活動した研究者の方たちからは日本では、なかなか認めてもらえない状態だった。今でこそ周りと上手くバランスを考えながら動くけれど、まだそんな若い時代が続いた34歳の時、カナダMt.Loganでの観測調査に参加させて頂く機会があった。これはカナダ国立極地研究所の「ロイ・カーナー」先生が率いる氷河調査隊で、観測調査への参加は自分には合わないんじゃないか・・と感じていた時に、それを払拭してくれたのがロイ・カーナー先生だった。「フリッツ」という愛称で呼ばれ、周りの人たちからも親しまれていた。その観測は標高4000mほどの地点での氷河調査だったのだが、なんとか調査隊の役に立ちたいと、荷物を積んだソリを4000m地点へ引っ張り上げたりと、とにかく動き回った。日本の観測調査に参加させてもらっていた時は、そんな動きが空回りして受け入れられなかったわけだが、「フリッツ」は違った。とにかく称賛してくれた。「フリッツ」は自分がまだ若い1969年に、ウォーリー・ハーバード率いる北極海犬ぞり横断隊に研究者として参加した実績の持ち主で、観測と探検の両方の視点から北極遠征を計画できる研究者だった。そして自らも70歳を越えるまでフィールドの一線で動き回っていた。2001年当時、間もなく70歳になる年齢にも関わらず、3000m地点で毎日ランニングをする姿は圧巻で、とにかくパワフルな方だった。僕に、研究者の方たちとこれからも一緒にやっていける、という自信を与えてくれたのが「フリッツ」で、とにかく影響と刺激を受け、今でも僕の憧れの方だ。

写真上:「フリッツ」とのフィールドワークにて。

写真下:テント内の「フリッツ」。

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影響を受けた方たち(その3)。今日は「師匠」です。

 僕にとっての「師匠」は、グリーンランド北西部、アバンナッソア地方のエスキモー民族だ。その中でも特別な「師匠」がいる。グリーンランド最北のエスキモー部落、北緯78°のシオラパルク村に在住の、「大島育雄」さんだ。もう40年も猟師としてこの地に住み続けている大島さん。エスキモー以上にエスキモーといえる方で、民族の文化を引き継いでいる。

僕が大島さんに出会ったのは23歳の時。20歳を過ぎてからグリーンランドへと足を踏み入れ、マイナス40℃の気候の中でキャンプ生活を試みたところ、あまりにもの自然の厳しさに手も足も出ず、日本に逃げ帰った。その翌シーズン、厳しい氷点下での活動方法を学ぶために門を叩いたのが、シオラパルク村に在住していた「大島育雄」さんだった。その後冬になるたびにシオラパルク村を訪れ、エスキモーの人たちを始め、特に大島さんからは野外での活動法、犬ぞり、狩猟を教わった。大島さんにとって、外からやって来た人間に、実践で犬ぞりを始めとするエスキモー文化や活動方法を、ここまで教えたのは、あとにも先にも僕だけだと思う。もしかしたら、僕が現地に定住することを望んでくれていたかもしれないが、今は日本と北極の両方にベースを置いていることに、少し後ろめたさを感じている。「こんな出来の悪い弟子はいない」と言われそうな気がするが、僕にとっては「師匠」だ。この4年ほどはカナダ北極圏で活動しているが、今後の展開で2年後に、自分の犬ぞりチームをグリーンランドに戻す予定です。

写真:シオラパルクに通い始めた20数年前、大島さんと娘さんの「アヤ」と。

20120525

201205192 影響を受けた方たち。今日はその2。もう一人の僕にとってのオヤジ、「渡辺興亜」先生。

 アマゾン川イカダ下りのあと、僕は北極へとのめり込んでいったのだが、最初の頃はまだどちらかといえば、記録を意識するような「冒険心」がスタートでトゲトゲしていた。そんな中で今の北極活動の意識、方向性、面白さ、を持たせてくれたのが渡辺オヤジだった。2223歳の頃だったか、ひょんなことから極地研究者である渡辺興亜先生を紹介して頂いた。やはり渡辺オヤジも、前回の冨山オヤジと同じく親分肌で、日本の南極地域観測隊を始め、北極での観測調査をグイグイと引っ張ってきた方で、視野が広く、極地探検+日本の極地観測という両方の観点から、1015年その先と長期展望で計画を進めていく先見の目を持っている、これまでに僕が出会ったことがないタイプの研究者だ。北極での観測調査隊、そして第46次南極地域観測隊と多くの極地観測調査に参加させてもらって、今の僕の北極活動の意識と方向性を持たせてくれた。すでに73歳という高齢にも関わらず、まだ日本の極地観測の今後を見据えての意識は、凄く影響を受けるものであり、僕には研究者という肩書きはないが、「設営」という面で、引き継いでいきたいと思っている。

写真:「僕の操る犬ぞりに乗ってもらう」という、兼ねてからの約束を2009年に実現できた。この先の展望があります。一緒に北極でのフィールド活動もしたいですので、まだまだ元気でいて下さい。

201205131

 高校を卒業してすぐに親元を離れ上京し、今の道を進み始めた。それからまだ2627年だけど、その中で多くの方たちに出会って、特に影響を受けた方がいる。そんな出会いを何度かに分けて書いてみたいと思う。今日はその第1回目。

 僕には3人の「オヤジ」と呼べる人がいて、実父はさておき、今日はその中の1人のオヤジのことを書いてみよう。

上京後、アマゾン川イカダ下り、北極へと活動が続いていくのだが、当時僕は工事現場のアルバイトをして、資金を貯めては海外へ出かけるという生活を続けていた(今もそんなに変らないが・・)。その頃はバブルが終ってからも、まだアルバイトで稼ぎやすい時代だった。アルバイトといえども、同じ仕事場に何度も出入りを繰り返すのは、なかなか許されないのが普通だが、それを受け入れてくれたのが地質調査(ボーリング)会社を営んでいた「冨山弘人」社長だった。お金を使い果たして、日本に帰ってきては働かせてくれた。地質調査という名前だけでは簡単な作業を連想するが、ボーリングマシンを用いる力仕事であり、危険も付いて回る現場作業だ。冨山社長は関東の地質調査業界ではちょっと名前の知れた技術の持ち主で、現場仕事をするにあたっての段取りや、また現場での統率力、回転の良さ、腕(技術)のどれをとっても一流だった。こういった生き方をすることへの理解も示してくれるくらいだから、人間としての懐も大きかった。それらの姿は僕自身も大いに影響を受けたし、また北極で活動するに当たっても、繋がるものがあった。いいものをどんどん吸収させてもらった。今なおも、こうして北極活動を継続出来ているのは、若い頃に冨山オヤジに鍛えてもらったことは間違いない。そんな冨山オヤジも数年ほど前に病気で他界してしまった。その年に北極へ出かける直前に、病院でお会いした時に交わした「今の北極活動が形になったら次は報告に伺います。」という約束は、いまだ果たせていない。その日が来るように、まだまだこの先、北極でやっていく。

写真上:冨山オヤジ(右)と三宅島に地質調査に行った時のスナップ(山崎は右から2番目)。

写真下:やぐらの上で作業をしている様子(確かこの現場は晴海ふ頭周辺)。山中、海洋上も含め、関東一円あちこちと現場を回った。

201205132

帰国後、最初の週末は・・。有佐&ワンコたちと少しのんびりしました。

写真:夕方に近くの淀川、河川敷で。

20120512

20120509 昨日8日に日本帰国。体重を計ってみると通常より67kg減の65kg。遠征中の禁酒を解除して、大好きなビールを飲みながら体重を増やすことにしよう。

そしてまた、67月の2ヶ月間、グリーンランドでの観測調査に参加のため、装備の準備を始めている。その他、出発までにやっておかないといけないことがたくさんある。

写真:装備の準備を始める。

201256日(日)(その2) イエローナイフ 曇り

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 今シーズンもレゾリュートでは、活動にあたってたくさんの方達にお世話になりました。その中でいつも特別にお世話になる二組の御夫妻。

まずは地元で宿泊施設「South Camp Inn」を営むアジイ&アリーサック御夫妻。毎シーズン長期滞在にあたって、宿泊費などの配慮も含め、かなりの経済的軽減支援とロジスティック支援を頂いてます。奥さんのアリーサックさんは女がてら凄腕の猟師です。

そしてサイレス&サエコさん御夫妻。産休を迎えたり、体調を崩して犬ぞり旅行に行けない犬たちをいつも見てくれ、また次シーズンの準備のため夏季の日本帰国中には、犬たちのケアを引き受けてくれてます。なんでも旦那さんのサイレスは、犬ぞりを始めるかも?

特にこの二組の御夫妻には頭が上らず、お礼を伝えて帰国したいと思います。

写真上:(上段)アジイさんと。(下段)スノーモービルでの補給時。左がアリーサックさん。

写真下:サイレス&サエコ夫妻と犬ぞりでピクニックに行った時に。

20120506

201256日(日)(その1) イエローナイフ 曇り

201205063 発情期後、体調を崩して一時は全く動けなかった「パミウリ」。ほんとは今後の再発防止のために、避妊手術を受けたほうがいいと思われるが、場所が場所のため難しい。薬の投与を続けた末、なんとか自力で歩いて食べれるまでに回復したが、このあとこのまま元気でいてくれるかは、何とも言えない。来シーズンまた一緒に走れることを願って・・。

写真:帰国前の「パミウリ」。

201255日(土) レゾリュート 晴れ、イエローナイフ 雨

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久々に雨を見た。昨日のフライトがキャンセルとなり、今日レゾリュートからイエローナイフへと移動。イエローナイフは雨。

シーズンの終わりは、いつも日本へ帰ることに不安が募る。そして、また来シーズンここに戻ってこれますように・・。

写真上:コンテナに収納の装備。写真下:1ヶ月を過ぎた「パニッ」と。後ろは母犬の「コウ」。

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