「エスキモー」の呼称問題について、よく聞かれることがある。僕の考えは講演や、書く機会がある時には必ずといっていいほど述べていて、決して「エスキモー」という呼称は差別語にはあたらない。ただ近年は時代と共に「エスキモー」と呼べる人たちがいなくなりつつある。グリーンランドはじめ、極寒の北極に住んでいる人たちみんながエスキモーではない。そういう生活をする人が時代と共にいなくなってきたから。
以下、ある機関誌に書いた、実体験から見た僕の考えを載せておきたい(原文のまま)。長文ですが、興味のある方は読んでみてください。
エスキモーとイヌイットという呼称問題
日本ではある時期から、「エスキモー」という呼称が差別語にあたるとして「イヌイット」と置き換えられて呼ばれるようになった。1980年代頃であろうか?僕も当初はそうなのだと、イヌイットと置き換えて呼ぶようにしていたが、実際に北極に通い始め、先住民族である彼らと生活を共にするようになって、必ずしも「エスキモー」という呼び方が差別語ではないことが分かってきた。これは民族学者の研究によっても明らかにされていることであるが、何故か日本ではメディアの影響力が大きく、その風潮のままイヌイットという呼び方が続いている。イヌイットという呼び方が逆ヘイトになりうることもそろそろ伝えて頂きたいし、従来のようにまたエスキモーという呼称に戻して行くことも必要ではないだろうか。豊富な生活の知恵を持ち合わせ、厳しい自然環境の中を何千年という大昔から生き抜いてきた彼らを、僕は尊敬している。尊敬の念を込めて今はまた「エスキモー民族」と呼ばせて頂いている。グリーンランド北西部地方では猟師の人たちは「自分たちはエスキモーだ」と堂々と言うし、カナダ極北で5シーズンほど犬ぞりで活動していた間も、地元の人たちが「イヌイット」という呼称にこだわっているようには感じなかった。僕も犬ぞり技術や北極での活動方法等の文化を彼らから伝承してもらい「自分はジャパニーズ・エスキモーだ」と言いたい。「自分たちはエスキモーだ」と、現地で堂々と言える人たちがいるという事実が重要な気がする。
『極地』2017年3月号(通巻104号)、(公財)日本極地研究振興会、2017年3月1日発行より → http://kyokuchi.or.jp/?page_id=3031#kyokuchi
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写真:エスキモーの仲間と(左は山崎)